12月18日
先日、彫刻家が古物の仏像を修復するために鑿をふるい、膠を使い、いわゆる文化財保護に繋がる作業をすると言うのでノコノコ上野まで出かけた。
扉を開けるとそこには大きな仏像が寝転んでいた。平安初期の立像で、背丈は170cmはあるだろうか。平安初期といえば、まだ奈良時代からの名残なのか胴回りがふくよかでどことなく大陸の様子も感じる仏像だった。
彫刻家が、その大柄な仏像を台座に立たせようとした時に、生身の人間と背丈の変わらない仏像の右肩を僕は左手で支えて持った。不思議な感覚が左手に触れた気がした。
その感覚が尾を引いていたのか、その晩不思議な夢を見た。
乳白色のぼんやりした人のような形をした神像のような存在(たぶん神像)が僕の左手に濃紺に光る真珠のような物を乗せて、それが左手の中に吸い込まれる夢だった。
「仏の肩を支えた左手に、神が玉をのせる夢を見た。夢の神仏習合とはそういうことか!」
と勝手に思うことにした。
今日それをふと思い出したかのように仕事場で人に話すと、「それってどう言う意味があるのかな?なんか意味があるのか?」と聞かれた。
意味か、そんなことは考えたこともなかった。
が、多分意味などはない。感覚的にはそんな気がする。
路上を歩いていて、心地よい風がフッと体をとおり抜けたような、そんな現象に似たようなもの。
今もそんな感覚がある。
ひとりごちで覚えた感覚を、今日の手紙に知るして置くとこにしよう。
メモテスト
未分類

コメント